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コラム

2008年4月アーカイブ

弁護士Mの小咄(BNNプラス北海道365)
知らぬが仏・・・情報統制の恐怖-羽田空港封鎖の場合
08年04月18日(金) 10時10分


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 先日、オフに、女房と東京に行った。土曜日に上京し、その日の内に「ドラリオン」を観て、日曜日の夜に羽田空港から帰ってくる、という強行軍を予定していた。ところが、搭乗を予定していた札幌(千歳)行き航空便が、雪で欠航し、しかも、乗客が殺到したのか午後2時過ぎまで便がとれず、事務所への到着は午後5時過ぎとなってしまった。強行軍が、結果、時間的にはとても優雅な旅になってしまった。

 羽田空港での出来事

 女房は、羽田空港ターミナルのショッピング街を見るというので、私だけ、セキュリティゲートで手荷物検査を受け、ゲートエリア内に入った。すると、雪のため、札幌行きの前便が到着さえしておらず、乗客で溢れている。そして、私の登場する予定の便は、天候調査中の扱いとされていた。

 そうこうしているうちに、ゲートの外にいる女房から、携帯電話が入った。セキュリティゲートを通して貰えないというのだ。ゲート担当者に尋ねても、理由は分からず、そのような指示があったとオウム返しとのこと。

 しばらくして、女房から、欠航が決まったという場内アナウンスが入ったという電話連絡が入った。しかし、ゲートエリア内では,依然と調査中の表示のままである。

 ゲートエリア内と外では、乗客に与える情報が違うのだ。ピンと来た。ゲートエリア内の顧客に速く情報を与えすぎると、混乱が生じるという考えに違いないとの判断だ。まず、外の顧客を落ち着かせてから、タイミングを見てゲートエリア内の顧客にも、決定済みの情報を開示するという企てだ。どんな反応をするかと思って、担当者に、外では、欠航というアナウンスがされているが、違うのかと尋ねてみた。即刻、センターからそのような説明は受けていないと回答された。

 まさに、組織的な情報統制だ。そして、組織的といっても、現場の担当者もグルだというのではなく、もしかすると、大きな仕組みの中で、担当者にも情報を開示せずに、手足のように使う仕組みが出来ているのかもしれない。私が訪ねた担当者は、本当に知らなかったのではあるまいか。身近な場面で言われる「敵をだますなら、まず味方から」という諺が、大々的に実施されている。異常な出来事には、しばしば、大袈裟な陰謀説が説かれる。しかし、日常的なちょっとした場面でも、統制される方は全く気がつかないまま、このようなシステマティックな情報統制が行われているのだ。その時は、事態に怒り、大騒ぎをするが、情報統制されていたことにさえ気づかないまま、事態そのものを忘れてしまう。

 たまたま、そのような場面に遭遇し、たまたま内外で女房と携帯でやりとりする状況になったので、気がついたが、日常的に無意識にされている情報統制が、多分大々的に多様な場面でなされているであろうことを思うと、安全といった必要からされているとしても、ちょっと怖い感じがした。

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弁護士Mの小咄(BNNプラス北海道365)
刑事事件の不思議ー夫殺害バラバラ事件の場合
08年04月11日(金) 12時05分


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 夫殺害バラバラ事件で、殺人などの罪に問われた歌織被告人の公判が、4月10日、東京地方裁判所で開かれ、結審した。検察官側は、「刑事責任能力は完全にあった」と論告して懲役20年を求刑する一方、弁護人側は「犯行時、心神喪失状態だった」として無罪を弁論した。

 この事件で、世間を驚かせたのは、弁護人側が申請して被告人を鑑定した精神科医ばかりではなく、検察官側が申請した鑑定医もまた、「殺害時は短期の精神病性障害で心神喪失だった」などと鑑定したことだ。良いか悪いかは別として、これまで有罪率99.9パーセントを維持し、精密司法を担ってきたといわれると検察庁・検察官の立場からすると、失態であるというほかない。

 しかも、検察官側は、被告人の再鑑定を請求したが、東京地裁はこれを却下した。裁判所が、心神喪失を認め責任能力を否定すれば、被告人は無罪になるし、心神耗弱として制限された責任能力だけを認めると、刑が減軽されることになる。

 ただ、一方で、城丸君事件、光市母子殺害事件、飲酒運転福岡市職員3幼児死亡事故事件等々を通じて、被害者感情を重視する世論の高まりもあり、裁判所がこれを尊重して判断する傾向も見られる。光市母子殺害事件にしても、山口地方裁判所、広島高等裁判所と、従来からの判例の立場を貫いて、一貫して無期懲役の判断をしていたにもかかわらず、最高裁判所は、死刑が相当であるかのように判断して、広島高裁判決を破棄している。

 私は、鑑定について上記の状況だからといって、東京地裁が、被告人の責任能力を否定したりすることがほぼ間違いないと断定できるかというと、そうとは限らないと思っている。従来から、裁判所には、鑑定の結果は医学の判断であって、法的な判断は、必ずしもこれに束縛されないという考え方もある。東京地裁が、検察官の鑑定の再請求を却下したのは、これ以上、有罪判決を下すために障害となるような事情が出てくると、判断し難くなると考えたかもしれないからだ。

 このようなことを考えることには、違和感があるかもしれない。しかし、裁判所が、自ら裁判所の役割を自負しているとすれば、十分にあり得ることだ。このことは、光市母子殺害事件について、最高裁が、ほとんど死刑以外の結論がないかのように述べながら、高裁判決を破棄するにとどめ、自判しないで、広島高裁に差し戻した理由を考えてみると納得できる。最高裁が自ら判断しなかったのは、世間には裁判ボイコットとまで見られた弁護団の行動があり、その評価はともかくとしても、もし自ら直ちに死刑判決をすれば、後世、そのような行動をした弁護団に対する裁判所としての制裁・報復と見られかねないと考えたからではあるまいか。差し戻すことによって、一定の審理を経過して結論を出した形を取ろうとしたように思えるのだ。

 私自身、弁護士であっても、いずれの事件についても部外者であり、証拠を精査する立場にないので、法律家としての判断を述べることはできない。世間と同様、新聞、テレビなどマスコミの報道でモノを考えるほかない。しかし、以上述べたところは、床屋談義としては、十分にあり得ることと思う。如何でしょうか。


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